posters(1-8) posters(9-16) posters(17-24) posters(25-31) 現代イタリアポスターは21世紀社会を鳥瞰する 松浦昇
Noboru Matsuura(Japanese text)
会場
The hall scenery

現代イタリアポスターは21世紀社会を鳥瞰する

 戦後ポスター史において、イタリアポスターというと、すぐに思い浮かべるのはジョヴァンニ・ピントーリのオリベッティの一連のポスターである。特に1949年に制作されたポスター『オリベッティ「計算機の宣言」』(図1)は、黒地の上に色のついた多種な数字のフォントを画面全体に構成し、オリベッティのロゴタイプは、まん中に小さくレイアウトされている。オリベッティという企業のイメージが的確に表現され、計算機というのは機能だけでなく、デザインも重要であることを語っている。彼が活躍するのは1946年からおよそ20年間であるが、見方をかえればオリベッティと言う企業が、ピントーリを育てたといえる。オリベッティには「企業とはただ利潤を追求するだけでなく、文化的な貢献をするべきだ」という企業ポリシーがあり、「文化的貢献こそ企業が個性を発揮する手段」という認識が育まれていた。その企業ポリシーと認識が、質の高いグラフィックデザインを生んだといえる。また、今日のコーポレート・アイデンティティ(CI)の原形をオリベッティに見ることができる。ピントーリのディレクションのもとに、ポール・ランド、ヘルベルト・バイヤー、レオ・レオーニらが協力して、より素晴らしいグラフィックデザインを展開している。戦後、イタリアのグラフィックデザインが大きく花開いた背景には、オリベッティやタイヤのピレリ等の企業が、優れたデザインをビジネスに取り入れていこうという運動があったからといえる。

 1920年代頃のバウハウスやデ・スティル、そして未来派の運動を基点に、スイスのマックス・ビルやヨセフ・ミューラー=ブロックマンらの国際タイポグラフィック様式運動によって大きく発展したモダン・タイポグラフィは、1950年代のイタリアで完成期を迎えたと考えられる。スイス出身で1946年にイタリアへ移ったマックス・フーバーは、スイス・デザインをミラノに広めた。彼のモンツァのグランプリレースの一連のポスターは有名で、1957年に製作されたポスター『モンツァ500マイル自動車レース』(図2)は、写真とタイポグラフィをうまくデザインされた、斬新な表現スタイルを確立している。また、フーバーの下で経験を積んだローラ・ラムのラ・リナシェンテ百貨店の一連のポスター等も大変有名で、頭に思い浮かべることができる。ところで、マックス・フーバーの夫人は、日本のグラフィックデザインのパイオニア的存在であり、著名なグラフィックデザイナーである河野鷹思の娘で、葵・フーバー・河野である。河野鷹思は1999年に亡くなっているが、2005年河野鷹思の個展が東京国立近代美術館で開催されている。近年、日本のグラフィックデザイナーの展覧会が時々、国立美術館で開催されることになった。初めて開催されたのは、1996年東京国立近代美術館分館フィルムセンターで開催された『亀倉雄策展』であるが、東京国立近代美術館本館で開催されたのは、『河野鷹思展』が初めてである。欧米の美術館に比べ、日本の美術館における、ポスターを中心としたグラフィックデザインの体系的研究の遅れが指摘されている。まず、日本のポスター史の体系的研究とポスターの収集が必要である。

 日本でよく知られているデザイナー、ブルーノ・ムナーリはダダイズムの影響を受け、F・T・マリネッティの未来派運動に共鳴していた。19世紀末から食前酒カンパリのポスターは、レオネット・カピエッルロから未来派のデぺロにいたるアーティストに依頼してきたが、カンパリはムナーリにポスター制作を託し、彼は1960年、ポスター『カンパリ宣言』(図3)を発表した。それはブランド名の『CAMPARI』をひとつのフォントではなく、2〜3種のフォントで効果的に構成され、カンパリを飲む人の顔や感情を表現したように全体には多種のフォントで構成されている。タイポグラフィだけでこのような力強くて、イメージ豊かなポスターは、明らかにモダン・タイポグラフィと未来派やダダイズムの影響が強く表れている作品といえる。この伝統は今日まで引き継がれている。その代表的なデザイナーとしてイタロ・ルピやブルーノ・モングッツィらがいるが、1988年に制作されたルピのポスター『展覧会「モーダ・イタリア」』(図4)もタイポグラフィが中心に構成され、モダン・タイポグラフィの影響を受けながら、伝統あるローマン体で構成された作品である。

 しかし、1990年代以降、私にとってイタリア以外で現代イタリアポスターを見る機会は少なくなった。というのは国際的なポスターコンクールにイタリアのデザイナーの応募が少ないからといえる。ワルシャワやブルノ、ラハチ、ショーモン、トヤマ等で見てきたが、その中で現代イタリアポスターの印象が薄かった。だが、彼らはポスターという表現を見捨てたわけではなく、より強くポスターに愛着を持っている。

 私が21世紀に入り、現代イタリアポスターを意識したのは、ジャンニ・ボルトロッティのポスターである。2002年9月24日〜10月6日、京都のギャラリーアーティスロングでジャンニ・ボルトロッティの個展(図5)が開催された。9月29日、ボルトロッティが来日し、彼を囲んでのパーティーが開催されると聞いたので、京都まで出かけた。風貌が学者風に見えたボルトロッティは、独自のデザイン方法論に基づき幅広い活動を展開している。彼の造形は、表現上イラストレーションを多用しているので、一見理解されやすいようにみえるが、作品だけをよく見ても彼の造形理論をすぐには理解できなかった。彼は、今日の電子工学、つまりコンピュータ・グラフィックによる安易なイメージの叛乱を早くから予測していたが、このコンピュータ・グラフィックによって、ルネサンス期に確立された遠近画法に匹敵するような、新しい造形文法の確立を真剣に考え、挑戦しているのである。彼のポスターは科学的であり、また、論理的で知的であるが、それは当然、豊かな感性に裏打ちされている。彼の造形に対する真摯な態度は、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチといえる。その後、ボルトロッティとは2005年10月、第7回メキシコ国際ポスタービエンナーレで会った。彼は審査委員として招かれていて、同じホテルで顔を合わせ、再会を喜びあった。彼の論理的で知的なポスターを通して、現代イタリアポスターのイメージが覆され、強く関心を持つようになった。また、メキシコ国際ポスタービエンナーレで、ラメル・ヨッシィの写真で表現されたポスター、イスラエルとパレスチナの問題を扱ったポスター『両国間の血の風呂』と、人類の共生を謳ったポスターが眼についた。そして、2006年10月、中国・杭州市で開催された第2回中国国際ポスタービエンナーレで、レオナルド・ソンノリのポスター(図6)に出会い、彼のポスターにおけるタイポグラフィから、論理的で視覚的表現から知覚的表現への新しい展開を発見した時、大変な衝撃を受け、その場に立ちすくんだ。レオナルドもモダン・タイポグラフィの流れを汲むデザイナーのひとりであるが、彼は自由にタイポグラフィを操り、サンセリフ体等のタイポグラフィの革新に努め、彼のタイポグラフィは知的でありながら華麗さをもっている。一般的にイタリアポスターは、イラストレーションが中心で感性豊かなポスターがイメージされるが、確かにそのようなポスターも一部に見られるが、それは現代イタリアポスターを代表するものではない。現代イタリアポスターは、タイポグラフィの伝統を守りながら、モダン・タイポグラフィを受け入れ、それを革新してきた。そして、イラストレーションも論理的で、知的であり、感性豊かである。その代表がボルトロッティとフランコ・バランである。つまり、ポスターにおいて、必要な告知的内容と芸術的内容が、バランス良く保たれているのが、現代イタリアポスターの特色といえる。

 構成的なタイポグラフィのポスターは、ドイツやスイスポスターによくみられるので、両国のイメージが強いが、ローマ字という言葉が示すように、アルファベットの文字はイタリアで完成した。今日のローマ字のアルファベットは、古代ギリシャのアルファベット(ギリシャ語の最初の2文字アルファとベータが語源)に由来しているが、さらに遡ると最古のフェニキア都市国家、ビブロスでアルファベットが生まれたといわれている。紀元前5世紀頃、現在の大文字と同じローマ字によるアルファベットが完成したが、文字の数は21文字であり、紀元前1世紀頃に26文字が完成した。しかし、初期のローマ字は大文字のみであった。114年にトラヤヌス皇帝の記念大円柱碑がローマに建てられたが、その碑に刻まれた美しい大文字のローマ字は、カピタリス・クワドラータといい、それをくずした書体を、カピタリス・ルスティカという。しかし、ローマ帝国の崩壊によってローマ字の統一的な発展は不可能となり、各民族の文字はそれぞれ独自の変化を遂げていくことになる。

 活版印刷術、つまり金属活字による印刷術が、ドイツのマインツ市でヨハネス・グーテンベルクによって1450年頃に完成されたが、これは写本の書体を真似たゴシック体であった。活版印刷術はヨーロッパ各地に伝わったが、その書体のほとんどがドイツ系のゴシック体(ブラック・レター)であった。しかしイタリアでは、文芸復興の気運にのって古典ローマ書体が流行した。一般的に使われていたゴシック体ではなくて、8世紀末、フランク王国のカール大帝によって定められたカロリング小文字書体と、ローマ時代のカピタリス・ルスティカの大文字書体をつかっていた。ルネサンス期のイタリアに印刷術をドイツから紹介したのはコンラート・スヴァインハイムとアルノルド・パナルツで、ローマ郊外のサンタ・スコラスティカ修道院にイタリアで最初の印刷所を設立した。ふたりがデザインした活字は、ローマン体の活版印刷への最初の一歩となった。イタリアの活版印刷をリードしたのはフィレンツェではなくヴェネツィアであり、フランス人ニコラ・ジャンソンが1470年にヴェネツィアで印刷所を開設して、のちに「ヴェネツィアン・ローマン」と呼ばれる、ローマン書体の規範とされる書体を作成した。これは改良され、今日でも使われている。また、ルネサンスの重要な人文主義者・学者のひとりであるアルドゥス・マヌティウスは、自分の理想を実現するためにヴェネツィアに1495年、印刷所を開設した。その主要メンバーの書体デザイナー、フランチェスコ・ボローニャ、通称グリフォは、ジャンソンのデザインよりさらに古代ローマの書体に近いローマン書体を生み出した。アルドゥス・マヌティウスは1499年『ポリフィルスの夢』を出版したが、これは活字と挿絵が前後に類をみないほど優雅にデザインされたグラフィックデザインの傑作である。グリフォがデザインしたその活字はのちに改良されて、ローマン体の『オールド・スタイル』の主流になっていく。活版印刷の書物は、ドイツからイタリアへ到来した時点では、写本そのままを活字で印刷していたが、イタリア・ルネサンスの印刷工たちはローマン体やイタリック体の活字等デザイン上の革新を成し遂げ、印刷本の基本形を後世に伝えたのである。ただ、16世紀はフランスのタイポグラフィの黄金時代であり、17世紀はタイポグラフィの創造性が枯渇した時代で、今までの恩恵によって印刷工たちは決まりきった仕事をしていた。18世紀に入り、フランスのプルニエは1737年に初めて活字の比率表を出版し、活字の標準化を提案した。彼が制作した活字は標準寸法の完全なデザイン体系(ローマン、イタリック、スクリプト、装飾体活字、罫、装飾)を備え、ロココ印刷工の技術を集積していた。再びイタリアのタイポグラフィが注目されるようになるのは、18世紀最大のタイポグラファー、ジャンバティスタ・ボドニの登場によってである。1790年にボドニはローマン体のデザインを見直し、より数学的、幾何学的、そして機械的な外観をもつデザインに統一した。それは「モダン・フェイス・ローマン体」と呼ばれ、今日までイタリアや欧米諸国において受け継がれている。しかし、20世紀に入り、未来派やダダ、デ・スティル、バウハウスそしてモダン・タイポグラフィはセリフのない、サンセリフ体を表現の中心に置き、それは可読性や視認性が高く、今日ではポスター表現において、ローマン体より広く使用されている。

 ポスターの原点はタイポグラフィである。渾沌とした今日の社会において、明確なメッセージが求められている。つまり、イラストレーションによるイメージよりも、タイポグラフィによる明確なメッセージが求められている。今回の『現代イタリアポスター展』に多大なご協力をいただいたジャンフランコ・トッリ教授は、巻頭の挨拶文で「イタリアのポスターを紹介することは、どんな意味をもつだろうか?」と問いかけておられるので、企画した私がその問いに回答したいと思う。

 なぜイタリアポスターか。ポーランドポスターやフランス、ドイツ、スイスポスター等と比べると、イラストレーションやタイポグラフィに際立った特色が見えないイタリアポスターは、総合的に完成度が高いといえる。つまり、ポスター芸術が必要とする、告知的内容と芸術的内容のバランスがうまく保たれている。イラストレーションに関して言えば、奇を衒ったところがなく、イラストレーションだけで見る人の眼を引き付けようとするところはないが、タイポグラフィとバランスをうまくとっているので、見る人の眼に抵抗なく、内容が伝わっていくのである。また、タイポグラフィに関して言えば、スイスポスターのような構成における厳しさはないが、イラストレーションとのバランスを考えた構成は、見る人の眼に抵抗なく、内容もまた明確に伝わっていくのである。ポスターは視覚言語である。視覚言語の国際様式を考える場合、イラストレーション(写真も含む)とタイポグラフィのバランスがとれている必要がある。イタリアポスターはその条件に答えている。だから、視覚言語の国際様式を考える上で、現代イタリアポスターは示唆に富んでいるといえる。

 私は常々、「ポスターはアートであり、メッセージである。そして、その国の文化を表象している。」と言ってきた。だから、コンクールで美を競うあまりに、ポスターの本質が見失われることを心配している。つまり、国際的なポスターコンクールだけでは、その国のポスター文化が見えないし、ましてその国の文化を語れないのは当然である。しかし、国際的なポスターコンクールは各国々や各民族の文化の違いを認め合い、人類の共通した思いや願いを視覚言語として表現する場であり、また、健全な文化社会と世界平和を希求する場でもある。だから、国民から支持を得て、世界各地のおよそ20ケ所で開催されている。ポスター芸術において、政治性や経済性が失われても、文化性が失わなければ、つまり、文化力の一翼として、ポスター芸術は市民の支持を得ることができるだろう。しかし、今日では文化性が失われると、ポスター芸術は存在できない。

 戦後のイタリアポスターはその時代の政治や経済の影響を受けつつ、時代に相応しい生活文化をデザインしてきた。つまり、告知的内容と芸術的内容のバランスをとりながら生活文化の創造、そして、ラスキンやウイリアム・モリスらが提唱した「生活の芸術化」の実践を、彼らはそれを特に意識していないが、イタリアの歴史・文化から学び、自然体として体現しようとしているようにみえる。政治や経済の影響を受けないで、しっかりした個人の生活を確立するには、「生活の芸術化」が選択肢として考えられる。従って、現代イタリアポスターが目指している目標は、文化力やデザイン力によって、国民の幸福の創造ではないかと思う。

 この展覧会に多大なご協力をいただいたジャンフランコ・トッリ教授には、1996年から開催されている大垣国際招待ポスター展にも出品いただいている。彼はワルシャワ国際ポスタービエンナーレの協力者でもある。彼と出品いただいた31名のデザイナーたちに心よりお礼申し上げます。この展覧会によって日本とイタリアの友好が深まることを祈念し、ポスター芸術の素晴らしさを再認識していただければ幸いに思います。

日本国際ポスター美術館ディレクター、金沢大学教授
松浦 昇


(図1)


(図2)


(図3)


(図4)


(図5)


(図6)

<参考文献>
「italia modern design―グラフィックの巨匠たち」監修:桑野泰弘 ピエ・ブックス 2007
「THE 100 BEST POSTERS FROM EUROPE AND THE UNITED STATES 1945-1990」
凸版印刷 1995
「グラフィック・デザイン全史」フイリップ・B・メッグズ著 淡交社 1996

<図の出典>
図1〜図4/凸版印刷
「THE 100 BEST POSTERS FROM EUROPE AND THE UNITED STAYES 1945-1990」(1995)より
図5/ギャラリーアーティスロングのダイレクトメール
図6/「第2回中国国際ポスタービエンナーレ」(2005)のカタログより